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2023.06.03

日本船舶海洋工学会(令和5年春季講演会)に参加するため、気仙沼へ行って参りました!

ログをご覧頂き、誠にありがとうございます。平林研究室修士1年の上野と申します。


今年の5/31(水)~6/3(土)に、学会に参加するため気仙沼に行って参りましたので、

今回はそれに関して思いを綴らせて頂こうと思います。


また今回、気仙沼で学会が開催されましたが、その目玉の1つとして、みらい造船の見学及び伝承館訪問がございました。

これらに関しても、併せて後述させて頂きます。


【気仙沼って、どんな町?】

気仙沼は漁業と造船の町で、漁業に関しては江戸時代から盛んだそうです。

カツオ・フカヒレ・ホヤなどが有名で、出張期間中に、無事にコンプリートすることができました。


自分は我慢できず、初日のお昼からさっそく漁港の新鮮な海鮮丼を食べに行ってしまいました!

特に、新鮮なホヤが非常に美味しかったです。口の中でとろけて絶品でした。

(重い荷物を背負って、歩いた甲斐がありました、、、!)


【初めての学会はどうだったか?】

今回は前日の会場設営・及び当日の運営係として、初めて当学会に参加しました。

6/1(木)、2(金)の2日間開催され、学会の雰囲気を知るという意味で非常に良い経験となりました。

造船の効率化、流体シミュレーション、洋上風力など、研究テーマは非常に多岐に渡っておりました。


学会に参加している他大学の学生・先生はどんな方がいらっしゃるのか、

どんなテーマの発表をするのか、どういったテーマが反響を呼ぶのか、どんな質問をされるのかなど、

発表者から、非常に多くのものを学ばせて頂きました。

(ずっと探していたテーマを発表された方がおり、直接コンタクトを取ることができたのが一番の大収穫です)


【伝承館で、何を感じたか?】


伝承館にて、被災された語り部の方から、当時の様子を交えながら震災の被害や体験、復興の歴史についてお話を伺いました。

当時は高校の校舎として使用されていたそうですが、津波の被害を受け、3階の足元まで津波が押し寄せたそうです。

現在は、震災の記憶と教訓を伝えるために伝承館として残されています。

上記の写真は、訪問時に撮影した写真です。当時の状態がそのまま残されています。

校舎の入口に逆立ちする車やがれきの山を見て、改めて津波・震災の恐ろしさを思い知りました。


この学校の学生は直前に避難訓練を受けており、震災当日も現場の先生の判断で学生ほぼ全員が避難し、一人の犠牲者も出すことなく震災を乗り越えたそうです。

改めて、定期的な避難訓練を実施すること、冷静に状況判断することの大切さを認識することができました。


【みらい造船で、何を学んだか?】

東日本大震災の復興の一環として、みらい造船が新型のシップリフトを建造いたしました。

日本でもたった2例しかなく、非常に貴重な技術となります。


従来の造船所はドライドッグで船を上架しますが、この造船所はなんとリフトに船を載せて上架させてしまいます。

従来方法ですと、ドライドッグ内(1次元方向)でしか船を上架できませんが、シップリフトは上架した後、背後地のヤードに台車で移動させます。

ヤードは船を横にも縦にも(2次元方向)展開できますので、同時に受け入れられる船の隻数が増加し、より多くの船の新造・修繕を受け入れることが可能となります。

(見学当時も、4~5隻の漁船が上架されていたと記憶しています。)

シップリフトは大型船への適用は難しいかもしれませんが、漁船といった小型の船舶に対してはぴったりの形態であると思います。


みらい造船の社長からも、直接お話を伺うことができました。

元々は異なる5つの造船会社だったそうですが、先の震災で大被害を受け、地盤沈下により再起不能に陥ったそうです。

そこで、現社長の木戸浦様が他の造船会社に声掛けし、1社に統合し新しい造船所を作り、再起を図ったそうです。


現在は漁船だけでなく、洋上風力にも注力しているようです。

CTV(風車の整備作業員を輸送する小型船)といった作業船の研究開発を行っているようです。


震災を受けても、地元の漁師さんのために知恵を絞り地元の造船業を復興させようという強い情熱とその行動力に、

恥ずかしながら非常に心を打たれてしまいました。

今後、また気仙沼に訪れたいなと思っています。


長文、失礼いたしました。御覧いただきありがとうございました。


この記事を書いた人
上野 大地 (修士課程)
UENO, Daichi

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